第1章

 

環境問題について考える

 

 

 

これからの生き方

 

これからの100年を考える

 

 

46億年前に誕生した地球の中で、私たち人類は最も新参者の生物なのだそうだ。

 

約600万年前に誕生した。

 

地球の年齢を1時間に置き換えるとたったの2秒である。

 

人類はその歴史の2秒の中の0.001秒、ほんの一瞬でまさに今、地球を危機に追いやろうとしているのだ。

 

想像を超える大雨が降りつずけたり、氷河が大量に溶け出し海面が上昇したり、その原因は何となくでもわかっているはずだ。

 

前例のない、とか言っているが前例に即した事しか起こらなければ何の心配もないのである。


 

何故このような問題が起こるようになったのか?

 

環境問題は、今では多くの人々が知っている事である。

 

最近ではスーパーのレジ袋を有料にしたり、ストローを使わなくしたりしているが

 

しかし、そんなことをやったところでもう何の解決にもならないのではないだろうか。

 

もっともっと根本的なことを、原点に帰って考え直さなければ改善される地球環境はもたないであろう。

 

我々Balanceは、その根本的な改善策から新しい暮らしを見つけ出そうと考えているのだ。

 

 

 

 

私たち人間は一人で生きていく事は中々難しい生き物。

 

家族や友達と助け合い、協力し合いながら集団で生きていく。

 

日々の暮らしの中では多くの人たちと触れ合い、話をする。

 

それによって人類は大きく発展してきたが、

 

もし、こういった事ができなくなってしまったら。

 

 

 

今、新型コロナウィルスという目に見えない程の小さなウィルスによって、私たちの暮らしは脅かされている。

今まで全く気にせず当たり前と思って楽しんできた事

それがリスクを伴う危険な事だということがわかったのだ。

 

未知のものというものは非常に恐怖を感じる。

只の風邪と同じだと聞いていても、もしかかってしまったら直せる薬がないのだ。

自分の力で治すしかないのである。

 

果たしてこの先、我々はこのウィルスからどう逃れることができるのだろうか?

ウィルスを完全に抹消する、それはどうも非常に難しいことのようだ。

共存していくという考え方をまず持たなければならないだろう。

封じ込める、などといった上から目線の地球を制覇しているような考えは直ちに無くすべきである。

 

今、国民が一致して承知している対策は下記の通り

 

「マスクを常に着用する」

「手洗い、うがいを常にする」

 「常に密になる事は避けなければならない」

そして 「Social distanceを守る」社会距離拡大戦略 と言った内容である。

ウィルスから逃げる、避ける と言った考え方である。

 

これらは私たちの行動を制限する事ばかりで、これではまともな生活にはならない。

確かに今までとは行動の取り方が変わってはくるが、ウィルスから逃げているだけでは何の解決にもならないのである。

健康な身体を作らないで、避けることばかりではこれから先常に逃げることばかりで楽しい暮らしは送れない。

もっと根本的に考え方を変えるのだ。

共存するという考え方は重要である。

持病のある人はコロナで重篤になる可能性が高いと言われているが

そう言った方々は結局持病が悪化して亡くなっていること。

 持病さえなければよかったのである。

 そして、ウィルスと共存できるだけの免疫力をつける事なのだ。

 

私たちがウィルスと共存するには、

常日頃から自分自身の免疫力をしっかりと高めておくという事。

普段の生活内容を見れば大体わかる事、現代人の免疫力は、思った以上に低いはずだ。

日本人はまず、平均体温が低すぎる。35度代が非常に多く見受けられる。

平均体温は36.4度またはそれ以上をキープすることをお勧めする。

そして生活習慣病、と良く言われるが、普段の生活から招いた病という事である。

要するに普段の生活に問題があるという事ははっきりしている訳なのである。

 

基礎代謝を作るのではなく、やたらと筋トレばかりやってみたり、

満腹になる程食事は取るが、栄養失調だったり、

インスタ映えなど見た目ばかりを気にしているからこう言った問題が起こる。

生活の基礎がしっかりとできていないからである。

 

 これからも未知の危険なものはまだまだやってくると思われる。

それまでにウィルスに負けない身体を作っておくべきなのだ。

そうすることによって、結局は地球環境の保善にも繋がってくるという事。

 

我々は今回のウィルス問題が起こらなかったとしても、暮らしを変えなければならないという事は避けて通れない事なのである。

 

この100年、経済とテクノロジーの進化によって、生活は大変豊かになった。

楽しいこと、気持ちの良いこと、便利なことなどなど、多くの快適な欲を満たしてきた。

病気になってしまっても薬の投与によって直してきた。

しかし、それらは全て人類の作り出した虚像によるもの。

自然環境という実態のあるシステムに対して、我々の頭の中にある虚像による人工システムは

環境破壊という大きな問題を作り出した。

 

 

先進国から出た電子機器のゴミ集積所

ガーナ

アホウドリの胃の中は大量のプラスチックゴミだった   ミッドウェー

50年後には沈むと言われている

モルディブ

息をするのも困難なほど汚染された川

モンゴル


そして環境問題は、私たちの身体そのものも深い傷を負わせているのである。

経済発展すればするほど、便利になればなるほど、沢山の外的ストレスによってあなたの身体は内部から炎症を起こしているのだ。

身に着けるもの、食べるもの、などなど、、、

 

身体は色々な形でメッセージを発信しているのだ。

地球も同じである。

あなたはそれに気が付いているのだろうか?

 

ゴミだらけの海の中でのサーフィン ジャワ島

99%の木を伐採した森林国立公園

オレゴン州

ゴミが地面を埋め尽くすゴミ集積所

バングラデシュ

温暖化により溶けゆく巨大氷山

ノルウェー


 

我々人間にとって都合の良いものが、手軽に何でも手に入るようになってしまうと、一番大事なことに気がつかなくなるものだ。

今さえ良ければ、世代を超えた先々の事までは考えにくいもの、全てが上手くこのまま続いていくと思ってしまうだろう。

ところが、そんな事はあるはずはないのである。

自然環境や身体に与えた深い傷は、このままにしておいて良いわけがない。

やっとのことでストローが廃止になり、最近になってやっとレジ袋が有料になった。

廃止では無い、有料になっただけである。それも、3円や5円で有料にしたところでゴミ袋として使うのだから根本的な解決にはなっていない。

廃止にしていかなければ、傷の元となることをなくさなければ流れ出る血は止めることはできないのだ。

一刻も早く改善していかなければ手遅れなのだ。

改善で済むのだろうか?

起こしてきた問題を治療するだけではもう遅いのだ。

 

第一に一人一人の根本的な暮らしに対する意識改善が必要なのだ。

 

求められている事は「自然に生きる」

 

果たして今からで間に合うかどうかはわからない。

 

直ちに暮らし方を大きく変えるのです!

 

 

 

 

 

 経済と環境の関係

 

経済は都市によって発展し、全てが人工、人間の頭の中で作られる虚である。

片や環境とは実体のある現物である

 

環境問題こそ最大の政治問題である

「養老孟司」著

 

  一方的な経済の発展には必ずその裏側に犠牲をともなう。

弱いところに必ず反動は出るもの。

 

エネルギーとテクノロジーの恩恵をたっぷりと受け大いなる発展をしてきた先進国と、その影武者となって犠牲を負ってきたきた後進国。

地球上に共に暮らす人類としては強者も弱者も環境の立場からすればどちらも同じである。

犠牲をそのままにしておくということは必ず自分達にもその影響が降りかかってくるという事を深く認識しなければならないのだ。

 

リサイクル(再利用)することは色々な方面で多く取り上げられるようになってきたが、それは根本解決にはならないのだ。

破壊された環境や我々の健康を修復することは多くの犠牲と相当なエネルギーを要し、

限られた国だけが国力とエゴで環境を自由に支配出来るわけがないのである。

元から破壊を起こす様な事が起こらないような日常を作ることが最も必要なことであり、それが先進国の使命なのだ。

 

 下の写真をご覧いただきたい。

先進国に代表する「欲求」、煌びやかなファッションショーや、豪華なクルージング、お洒落なリビング生活や最新の車のその裏には、

それらを支える生産者(後進国)の健康破壊や環境破壊、ゴミ問題など。今では誰でもが知ることになった海洋汚染はもう限界と言っても良い。

 

問題が起こってから「事」を解決していこうと言うことではないのです。

起こらない「事」が前提なのだ。

 

何故、問題は起こるのか?

問題の「事」は自然の摂理に殉じていないからなのだ!

 

お洒落で便利で華やかな世の中、その犠牲となっている人々が居る。

 

今回新型コロナの影響によって、いざとなると我々はどのような行動を取ろうとするのか、欲の本音が見えたような気がする

また、日頃の生活によって作られた身体は、このような時にどのように対処できるのであろうか。

 

日頃の暮らし方によって健康は大きく左右される。

そう思った方は多いはずである。

 

 

ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)

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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

 私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロスセネカアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。羊も800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

世の中では最近良く安心・安全という言葉を聞くが、果たして安心・安全とはどのようなことを言っているのだろうか?

心からの安心・安全、と思えることとはどのようなことなのか?

お金を沢山持つことが安心で安全な事なのだろうか?

沢山の”物”を買い占めておくという事が安心で安全な事なのか?

この安心・安全は、経済進める事によって守ろうとしていることなのだ。

経済さえ回ることができれば安心・安全を確保する事が出来る、と言っているのだが、これでは傷をどんどん広げていくことになる。

真逆なのである!

自然体にならなければならないのだ!

 

 

”奇跡の星”と言われるこの地球で、

多くの生命達と共に、家族や恋人と共に、いつまでも幸せに楽しく暮らしていくための安心・安全が必要なのである。

新型コロナウィルスのような外敵がこれからもまだまだやってくることは十分ありえること。

先に述べたように後から解決策を考えても遅いという事。

暮らし方そのものが心から安心・安全でなければならないのだ。

それは母親のお腹の中にいる時から、この世に生まれて、幼少期から青年期、壮年期から老年期まで

ずっと健康で幸せに居られることを一番の安心・安全な事だと考える事なのだ。

 

誰もがある程度年を取るとふと思うことがある。

私たちの人生の中で一番重要なことは、『神に召されて天国に旅立つその日、その瞬間までずっと健康でいられること』だと。

自由に動くことも話す事もできなくなって、美味しく食べ物をいただくことができなくなって、挙句には自分が誰だかもわからなくなたら、

寝たきりで毎日病院の天井だけを見て、延命処置を施されたら、ただ息をしているだけの毎日なんてことは、誰も望まないはずです。

生き物は自分の「死」を自然と感じ取るのだそうだ。

「死」を迎える前にはだんだんと食べ物を取らなくなるそうだ。

身体の中を空にして綺麗な状態で自然に死を迎える、ということなのだろう。

しかし、世の中はそうはさせてくれないのだ。

看取りのイメージは、殆どが病院で何かの治療(延命処置)を受けながら看取られて死を迎える、と言ったものが多いのだろう。

そして、死を迎える前には呼吸や意識、皮膚などに色々な症状が出る、

それを結局色々と余計な処置を行いビジネスが行われるのだ。

何故?

家族の為? 病院の為? 

経済を回す為?

間違いなく本人の意思、ではなくなっているはずなのだ。

 

健康な時は、自分が病気になって動けなくなることの不憫さなど考えもしないことだろう。

そうなってしまって初めて現実を知る事になるのだ。

 

 

一生健康に過ごすために一番大事なことは、暮らしの基礎となる 衣・食・住 のあり方をしっかりと理解し自然体でいること。

それは ”自然体とは質が良く質素である”   という事だからなのだ。

質素というと、素朴で飾り気が無く、贅沢をしない 粗末で貧乏な印象があるかもしれないが、それは遥か昔のこと。

情報と物に溢れ、何でもすぐに手に入れることのできる現代は、全く逆であると考えなくてはならない。

経済はあの手この手を使って我々の欲を掻き立てて暮らしを食い物にしようとしているのだ。

 何でも手に入ってしまう時代だからこそ物の質を見極める事と、自分の欲をコントロールできるかどうかが重要なのです。

豊かになるとファッションもゆとりが出る。

見た目を満足させる為、それを追求することによって自然の摂理からはどんどんと外れた物作りが行われていきます。

服とは元々は身体を守る物として大昔、ネアンデルタール人の頃に考え出された物の様だ、

沢山の服の中から自分たちの身体や暮らしに適した必要な良いものを選んで行かなければ自分の身体は守れないということなのだ。

経済の波に飲まれてしまうと自分を見失ない自分自身を守ることさえもできなくなるのだ。

経済は外観を維持する為に本質を歪めてしまうことが多々あるのだ。

誰も教えてはくれません、自分で注意しなければならないことは世の中に溢れているのである。

 

そして「食」に関して、常に満腹感を得るという事は、身体への大きな負担になるのだ。

昔から腹八分目と言うが、満腹感を得るほどにたくさん食べるという事は老化を促進する。

逆に空腹感を感じているときは成長ホルモンが活発になり若返りホルモンが出るのだ。

早食いをせず、ゆっくり咀嚼して食べる、食の基本である。

スマホを見ながら、イヤフォンで音楽を聴きながら、テレビを見ながら、はもっての外

咀嚼音を感じ取ることは大事な食事の条件なのである。

最近では八分どころか腹七分と言われるようになってきている。

それくらい満腹になる程食べるということは身体には良くないことなだ。

 

だいたい理解できただろうか。

 

日頃から健康や環境に対しての意識を高く持ち、正しい暮らし方を創造していくということが大事なことなのだ。

 毎日を健康でいて、美味しく食事が出来、ゆっくりと身体を休めることができる。

 100歳とは言わずとも80歳でも90歳でも人生の最後を迎えるその日まで素敵な暮らしを送れる事。

 それは母親から生まれたその日から始まるのだ。

 あなたの身体は衣・食・住によって作られるのだ。

 毎日着ているもの、食べたり飲んだりしているもの、そして毎日休息をとる睡眠

 これらの質を良くする事で良い身体は作られる。

 

 

私たち人間にとって一番の安心・安全で幸せな暮らしとは、この様なことではないだろうか。

 

 するべき事は決まっている

 

我々が作り出す100年後の地球には、質の高い質素な衣・食・住を身につけた子孫たちが幸せに暮らしていることを望みたいものだ。

 

 

我々は、これからの持続可能な安心・安全な暮らしを提案する。

 

それは、今まで「当たり前だった事」を変えていくことから始まるのだ。

 

今、私たち一人一人が考え方を変えなければ、世の中は変わらない!

 

世の中が私たちの暮らしを変えてくれることはないのだ!

 

 

 

 


 

オーガニックについて考えてみる

 

有機栽培・有機農業など、化学農薬や化学肥料を使わない、保存料や着色料などの添加物を使わない、

 化学染料や化学塗料も使わない、などを一般的には言う。

 オーガニックなものは身体に良いね、と思っている人は大勢いることだろう。

 

しかし、

 

今となっては本当のオーガニックなものなんて、存在しなくなってしまった様だ。

 経済発展のための物が作られ、儲けのために物の質が変えられる世の中である、

 この社会システムから抜けださない限り本当のオーガニックにはたどり着けないのではないである。

 

 

 世の中は実態のある地球環境の中で虚像経済によって回されている様なもの。

私たちの暮らし全てを虚像経済に頼るという事は、経済は私たちの身体の中の仮想の心臓のようなものであろう。

どんどん心拍数を上げて血圧を高くすることで末端まで血液を送ることにより、酸素の供給が出来ている。

酸素はお金と同じで、末端までお金を行き渡らせることにより経済を成長させる。

お金が行き渡らなくなるとたちまちそこが壊死し病気を引き起こしてしまうのだ。

 

私たちは化学農薬や化学肥料などを大量に使って作られた米や野菜を毎日食べている。

牛や豚、鶏などの家畜、魚などの養殖はホルモン剤や抗生物質たっぷりの化学飼料で育てられたものを毎日食べ、

300種類もの何故か認可された添加物を使った惣菜や菓子を毎日食べている。

(アメリカの認可は180種、ヨーロッパは100以下)何故か?それは価格の高いものや見栄えの悪いものは売れないからである。

 

化学繊維に化学染料で染めた静電気たっぷりの洋服を着続ける事、

化学塗料や新建材に囲われた部屋の中で毎日寝起きをし、電磁波ノイズの蔓延した中で呼吸をする。

 

これが、私たちの暮らしを利用して経済を持続させるために作り上げてきた成長手段なのである。

 

 

これは身体中を巡る血液や血管の質を低下させているのだ。

このまま持続させるには心拍数を落とさない事になる。当然血圧は上がる一方である。

そうしないと末端への酸素(お金)の供給ができないのだ。

こうなると血管の弱いところに動脈瘤が出来、それが破裂する事は安易に想像ができる事だ。

 

果たしてこの状態を健康的と言えるのだろうか?

 

戦後、高度成長期に入るとアレルギーや喘息、アトピー疾患が増え始め、知らない間に二人に一人が癌になるという始末!

飽食による肥満で高血圧や糖尿病などの生活習慣病も激増の一方を辿る。

なぜなのか? 

答えはいたって簡単な事、それらを引き起こす原因となる「事」が衣・食・住の生活習慣に根付いてしまっているからである。

食べるものや着るものなど生活の基本となるものの「質」を良く見極める事だ。

 

国は国全体のGDPを持続させるために経済を回すことを第一優先に考えるのだ。

よって国民の所得に合わせた生活品質水準が作られていくわけだ。

近年は大型スーパーなどが暮らしの品質水準となりつつあり、その水準に合わせた暮らしが営まれていくということとなるのだ。

 

 

あなたの暮らしに問題はないだろうか?

 

 今、国が真っ先に考えなければならない事は、「経済問題」ではなく「環境問題」なのである!

 

 


 

 

 

 

今となっては ”オーガニック”  に拘り過ぎても意味がない!

 

 

オーガニックは素晴らしい! オーガニックがいいに決まってる!

と思っている人たちは数多くいるだろう、オーガニックのものしか購入しない、なんて方も結構いるのではないか。

野菜でも家畜でも生産者の顔写真入りで、心を込めて生産したことを表示する生産過程の可視化(トレサビリティー )Traceabilityである。

衣類はオーガニックコットンやオーガニックリネンなどはかなり出回っていると思われる。

ある意味、世の中はオーガニックブームなのである。

悪いことではないがブームでは意味がない。ブームとはスタイルである。ファッションである。一時的ということである。

本質を捉えなければ何の意味もないのだ。

皆さんは何を持ってそのものをオーガニックと認識しているのだろうか?

 

地球上の全人口はもうすぐ80億人に達する見込みである。日本は人口減少の方向であるが諸外国は増える一方である。

地球の危機問題の中で食糧危機は最初に挙げられる重大な問題であり80億人全員が毎日満足な食事が取れてはいないのだ。

9人に1人が満足な食事も着るものも手に取れないのが現状であり、もっと不足していくことは目に見えているのだ。

オーガニックとはゆっくりとした時間と広い大地が必要である。全人口が十分なオーガニック生活を送ることは物理的にも不可能である。

人口を減らすか、物資を極端に大量生産する事しかないのだ。

遺伝子組み換えやゲノム編集は、聞いたことがあるだろう。

大豆やトウモロコシなどたくさんの農作物や魚や牛、豚、鶏などの養殖に応用されだしている技術だが、

まだ未確認のことが多く残されているため、完全な実用化にはいたっていない様だ。

この技術を利用すると通常の自然農法の何倍、何十倍も生産性を上げることができる技術であり、

これによって多くの人々に物資が行き渡ると考えても良いであろう。

 

 

加工が簡単に行える羽根のない鶏、異常に筋肉のついた牛、通常よりも巨大化したサケ、遺伝子組み換えによるものだ

 

化学添加物というものがある。

保存料、甘味料、着色料、香料など、味覚、視覚、嗅覚など五感に当たる部分を添加物により作り出し、保存が利くものが目的である。

人口増加と環境破壊により本物では賄いきれなくなり、代わりに添加物を使うことによって〜風と言ったものが沢山販売される。

同じような味、同じような色を再現して安く大量に安定した生産ができる、保存が利くので多くの人々に行き渡るのだ。

〜風と言ったものは昔から存在する。がんもどきは豆腐を使った鴨に似せたもの、ちくわぶはちくわに似せた小麦粉の練ったもの、などがある。

今では本物に似せた安価な加工食品にはほとんどの物に食品添加物がふんだんに使われているが、

昔は高価で手の出にくかったものも安価になることで毎日手に、口にすることができる様になり、

皆んなが幸せになる事は確かに素晴らしい事だと思うのである。

しかし、先に述べたが、現実には多くの健康上の問題や環境上の問題が起こっていると言った現実があるのだ。

これは何が原因でこうなった、とは言い切れない、実際には長い年月を経てみないとわからない事ではあるのだ。

一つの商品をとってみて直ちに問題は無い、と言う見解であるが、続ける事によるリスクを考えればいつかは問題になる、ということだ。

それは子供の頃から取り続けて蓄積されたものが晩年になって色々なところに不具合が出る、と言うことではないだろうか。

母親の身体に蓄積され、その子供に影響が出ることも良く聞くことだ。

 

そして、もっと怖いこと。

それは「種子」である。

日本には1952年5月に制定された「種子法」という法律がある。

これは戦中から戦後にかけて食糧難の時代を経験した日本が、「食料を確保するためには種子が大事」と、

主権を取り戻すのとほぼ同時に取り組んだもので、米、麦、大豆の種子を国が守るという政策であった。

しかし、農林水産省は主要農作物種子を「廃止する」法案を国会に提出し3月23日に衆議院農林水産委員会が可決したのだ。

これにより米、麦、大豆などの種子は外資系企業の参入により支配される懸念が出てきたのである。

日本古来の原種や原原種の優良品種が消えてしまう可能性が出てきたわけだ。

そして最も怖い事は、モンサント法の成立である。

 

*種子法廃止後、種子は育成者権保護を強化した種苗法で管理し、

登録品種を「種子として販売・無償配布しない」という契約書にサインを求められる

*農業競争力強化支援法により、公的な種苗の生産に関する知見が民間事業者に提供される

*特定企業が過去に日本政府や地方自治体が蓄積した遺伝子を活用し、開発した新品種の「特許」が認められ、

本来、公共財であった種の遺伝子の権利が特定企業に移行する

*低廉な種子を供給できた制度が廃止され、種子価格が高騰する可能性が高い

*日本国内で開発された種が外国の農場に持ち込まれ、農作物が生産される

安価な日本原産の農作物が日本に輸入される

*国内の種子の多様性が奪われ、遺伝子クライシスの恐れが発生

*モンサントなどの遺伝子組換え作物の種子が広まり、日本固有の種子遺伝子が全滅する

 

我が国は、いずれ新嘗祭をモンサント等の遺伝子組み換えも稲で執り行う事になる

種の多様性が失われ、価格が上がる事で食料安全保障は崩壊する

 

これは私たち国民の意思をしっかりと示さなければならない

 

私たちの身体は、食べたもので作られてい流のだ。

このことをしっかりと理解しなければならない

 

そして私たちの身体は、良いもの、悪いもの全てのものを経皮吸収もするのだ。

 

しかしそは言っても、今の生活環境の中で身の回りのものを徹底してオーガニックのものにする事は実際のところ不可能と言っていいだろう。

本当のオーガニックな暮らしを実現するにはそれこそ「ポツンと一軒家」の様に人里離れた山の中、または離島で暮らすことになるのだ。

 

最近ではサスティナブルが良く使われるようになった。

持続可能な発展という意味だが、あくまでも我々の立ち位置は変えずに発展することだけを言ってるのではないだろうか。

「今までと変わらずに経済を持続したい」、また「それを発展し続けたい」

それでは地球環境は持続はしないということがわかっているのだろうか。

持続可能な発展を続けていきたいのであれば、まず先に環境問題を解決することなのだ。

 

今までと変わらない暮らしを取り戻すことか、地球環境持続性を取り戻すことか

人里離れて自給自足のオーガニックな生活に徹しようとしても、どちらも持続することは難しいのである。

 

あなたならどうする?

 

世の中のより多くの人々が、本当に安心して幸せを感じることのできる暮らし。

 

それはこの地球の原点に立って自然に調和しないと見えてこないのだ。

 

人類は今まで何百年とかけて作り上げてきた経済の虚像を持続さることばかりを考えている。

 

経済とは人間の頭の中で作り上げられた虚像である、実態のある環境の中に作られたもの。

 

環境の持続性を一番に考える事がもっとも大事なのである。

 

全体を観れば当然のこと、そして足元を観るのです。

 

政治は今第一に考えなくてはならない事は「環境問題」なのです。

 

次々に起こる問題を解決し、環境との接点が見えてこそ経済を組み立てる事が出来るのです。

 

そもそもエコロジーという表現をする事自体が環境と接点を持てていないということを表しているのでしょう。

 

 

 

例えば、コロナ渦でまずは感染拡大を止める事が一番に重要なはず。

 

しかし経済との両立を優先するが為徹底して都市封鎖が出来ず、、もしくは人命よりも経済を優先する事が重要との判断。

 

医療崩壊の危機問題についても、まずは経済に大きく影響を与えるからなのでしょう。

 

 

 

もし通貨というものが世の中からなくなったら、と考えてみましょう。

 

色々な「事」に直面した時にどの様に解決していきますか?

 

今まで経済の発展によって成長してきたテクノロジーは利用できません。

 

化石燃料によるプラスチック製品は存在しなくなります。

 

環境を食い物にしてきた大量生産、大量販売とそれに伴う大量廃棄といった考えもなくなります。

 

それを利用した投資という発想も成り立たなくなります。

 

この100年、経済による生産活動によって全てが動かされ、それによって環境破壊が起こっているとしたら

 

国として第一に考える事は決まっているはずです。

 

その先に始めて持続可能な未来が見えてくるのです。

 

そこで始めて人間・社会・地球環境の持続可能な発展を考える事が出来るのではないでしょうか。

 

この地球上でそんな日常の暮らしが出来る様になるために

 

”Balance” は原点からみた「暮らし」を考えています。